女川町誌 続編
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女川町議会定例会の行政報告において、この間の事情を詳しく述べ、誘致への意欲を表明している。これが町議会での原発誘致問題の正式な表面化と考えられる。ついで、第四回定例会(八月十一日)における行政報告を経て、第五回定例会(九月三十日)では議員提出による「原子力発電所誘致に関する決議案」が満場一致で可決された。これより二日前の二十八日には隣町牡鹿町議会が同様決議を行っており、続いて十二月十日には石巻地方一市九町の首長が連名で県議会に原発の誘致を請願、二十三日の県議会で採択されている。 浪江に比して客観的に多くの有利な条件を備えた小屋取地域ではあったが、「競合がある限り、万が一の場合まで想定して」の迅速・周到・果敢をモットーにしての木村町長の奮闘は、翌昭和四十三年正月、松の内もあけない五日、東北電力の「原子力発電所建設地点として女川を決定」の発表によって報われることになった。 今にして振り返ってみると、当初、漁業権補償の点では利点のある浪江が先行していたが、交渉が具体化し始めた段階で敷地買収の問題で行き詰まり、東北電力の女川内定はかなり早い時期になされていたのではないかと推測される。 第三節 着工までの長い道のり 東北電力の決定を受けると、女川町当局と町議会は昭和四十三年二月五日から建設予定地の地権者に対する説明会を開催し、二十二日には立入調査の承諾を取り付けた。二月二十九日(この年はうるう年であった)、原子力開発推 60

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