女川町誌 続編
81/596

(注)この項を書くための取材中、「建築の資金借り 入れ先は住宅公庫ではない」との指摘もあったが、関係書類を保存している神農氏の話によって一応「住宅公庫」としておく。 ☆赤い灯台よ、さようなら 津波対策としての防波堤工事が進むにつれて、出入りの船舶はもちろん、町民からも赤い灯台として長い間親しまれてきた越木礁灯台が廃灯の日を迎えることになった。三十八年六月二十四日、県と海上保安部が立ち会って消灯し、三〇年を超す歴史を閉じた。 昭和七年八月二十日、アセチレンを光源として点灯を始めた赤い灯台は、その後、二十八年に電化され、明暗紅光一四〇〇燭光の光を二秒間隔で自動点滅し、二海里の投光距離を持つこととなった。構造体は紅色円形鉄筋コンクリート造りで海面からの高さ一〇・七㍍(基礎からの灯高九・二㍍)、東経一四一度三五分、北緯三八度二六分に位置した。 新防波堤の建設に当たり、崎山側、小乗側の両防波堤突端に標識灯が設置されたが、崎山側が紅色と、赤い灯台の昔をしのぶ手掛かりが残されているのはうれしい。なお、越木礁灯台の位置は現在の標識灯の三〇㍍ほど手前であった。 49

元のページ  ../index.html#81

このブックを見る