女川町誌 続編
60/596

加と、大きく広がった。残念ながら、昭和六十二年から平成元年まで、三回の海底捜索でも、機体は発見できなかった。 しかし、捜索実現に向けての活動の過程で生まれた、グレー大尉慰霊碑建立のための募金は、日本人有志の賛同もあって順調に進められた。平成元年八月九日、大尉の英霊が眠る海域を一望できる崎山公園の一角に地を定めた慰霊碑の除幕式が盛大に行われた。 主な参列者は、カナダ側から、国防担当国務大臣メリー・コリンズ女史、スチーブン・ヒーニー代理大使、ミ ルン大佐、グレー大尉の姉、E・H・ゴーチ夫人、カナダ海軍在郷軍人会代表、本町側から須田町長をはじめ、各界代表多数である。 碑は、磨き仕上げのカ ナダ産カコウ岩に三枚の銘板をはめ込む。碑の清掃管理は女川ライオンズ・クラブの厚意にゆだねられるが、全町民が、世界平和と両国の友好親善への誓いのシンボルとして、この碑を大事にし、後世に伝えたいものである。 ☆女川湾戦没者慰霊塔 戦後の混乱がおさまるにつれて、戦没者慰霊の声が全国的に高まり、本町にも熱心にその活動を続ける人々があった。 昭和三十三年、バンコクの世界仏教徒会議に出席した妙照寺の鈴木錬成師は、血書の写経を携えてタイとビルマの戦跡を訪ね、国のために戦い異国に骨を埋めた人々の供養を行った。帰国後『ビルマの墓標』と題する一書を刊行して世に訴えた。 また、昭和四十年、商業視察で東南アジアを訪れた神田義男氏(衣料品店カンダ社長)は、戦死者の遺骨や遺品が顧みる人もなく山野に雨ざらしにされていることを 28

元のページ  ../index.html#60

このブックを見る