女川町誌 続編
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化し、平成元年に入っても次々に明らかにされる疑惑の拡大と、反対の強かった消費税の実施が重なって、政界は大きく揺れている。 九月十八日、楽しみにされていた大相撲の観戦を発熱のため中止された天皇は、翌日から、吐血・下血を繰り返され、皇居において長い闘病の生活に入られた。イベントの自粛、お見舞いの記帳に込められた国民の祈りも空しく、昭和六十四年一月七日午前六時三三分、天皇崩御の発表が全国民の心を暗然とさせた。ご在位六二年の長きに及ぶ八七歳のご生涯であった。 平成元年の本町では女川原子力発電所二号機建設のための第二次公開ヒアリングも平静のうちに行われ、建設工事の着手が待たれている。また、七月には港祭りと時を同じくして第十回日本海洋少年団東北地区大会が本町を会場にして開催され、東北各地から海の子ら約五〇〇名が集まった。八月には崎山展望公園に建立されたグレー大尉慰霊碑の除幕式が行われた。養殖業界ではギンザケに代わる、より有利な魚種として、グルメ・サーモンに着目し、常に時代に先行する試行をおこたらない。 町当局もすでに、目標年次を平成十二年とする「新長期発展計画基本構想」を作成し、新しい世紀へ向けた「活力ある町づくり」の指針も定まっている。町民こぞって力を合わせ、子孫のためにいっそう住みよい町にして次代にバトンタッチしたいものである。 26

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