女川町誌 続編
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と考えるのが自然であるが、それらしい変化をみることはできない。 ところで、『書上』、『書出』に欠ける分をどうするかに ついては、問題のあることを承知の上で、推計処理によって「仮の数」で補うことにした。これは、町全体の合計や、各年度間の増減比などを求めたりする際に、尾浦、竹浦、石浜、鷲神といった、比較的大きい浜の記載分が生かされなくなるのを避ける ための便宜的な処置である。処理の方法についての説明は省略するが、表2以下で*印を付した数がそれである。利用者の考えによってこれらを除外して新たに統計処理ができるように配慮した。 各浜ごとの表(表2)にざっと目を通してすぐ気がつくことは、安永・明治間の人口の急減であろう。言うまでもなく、天明、天保の大飢饉の爪痕である。天保年間の飢饉のすさまじさは『戸籍簿』から得られる人口構成図で三十代の比率の低さに反映されている。半農半漁の本町でさえ二〇㌫を超す減少率を示しているのだから、純農村地帯の悲惨はどんなであったろうか。想像するさえ寒気を覚える。詳しく考察する余裕がなかったので単なる印象にすぎないが、その他心を引かれた二点だけを挙げておこう。 一つは、男女別の比である。人口のごく少ない浜を除いて、常に男性の数が多い。これは食生活の質の低さに由来する出産の全国的傾向なのか、あるいは何らかの人 543

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