女川町誌 続編
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朝のアッパッパの姐ねえさんが麦酒を持って来て話しこむ。秋田から流れて来た芸者だといふ。女川の草餅の話をする。隣室に客があがる。この姐さんが出て行って驚くほどうまいおばこを唄ふ。此世の外貌は内なるものを平気で無視する。旅人は唯一塊の夜の断片としてしか女川をうけとらずに眠ってしまふ。 (「時事新報」昭和六年十月十三日付夕刊掲載「三陸廻り」より) (注)「三陸廻り」は時事新報夕刊掲載の文を底本にし、漢字については現行の字体に改め、ルビは最小限にとどめた。仮名遣いは原文のま まにしたが、促音等は小字に改めた。 第二節 思い出の女川 一 女川防備隊の思い出 元女川防備隊副長 鋤 柄 健 吾 米機動部隊による東京初空襲は昭和十七年四月十八日のことであるが、この時本土東方六〇〇浬の海上にあってこの機動部隊を発見、詳細を無線電信で通報したのが第二十三日東丸である。東京以北の太平洋上警備は塩屋崎を通る北緯三十七度線を境界として北方を女川防備隊が、南方を横須賀防備隊が受け持っていた。第二十三日東丸は横須賀防警備区域の最北、女川防警備区域に接する海域を哨戒中であった。 昭和十九年初頭女川防備隊に着任した私は、沿革についての申継ぎを受けなかったので詳細は知らないが、昭和十六年十二月の開戦直後、駅近くの民家を借りた仮庁舎で看板をあげたようである。やがて、徴用したトロール漁船九隻に武装と無線兵器及び乗員を配置し、当初はこのうちの三隻を哨戒区域に送り出していたものと考え 535

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