女川町誌 続編
56/596

⑹ 昭和六十一年(一九八六)~平成元年(一九八九) 昭和六十一年四月二十八日、ソ連のタス通信が報じた、キエフ市北方約一〇〇㌖にあるチェルノブイリ原子力発電所の事故は、その全容が明らかになるにつれて、全世界に原発に対する不安感を高めた。女川原子力発電所はすでに営業運転を開始して三年目を迎え、一号機の第二回定期点検に入ったばかりのことであった。幸い、一号機の順調な運転実績、県保健環境部の東北電力への安全対策強化要請といったすばやい対応などによって、本町ではこれといった人心の動揺は見られなかった。 この年の七月六日行われた衆参同日選挙では自民党が圧勝し、衆議院では保守合同後最多の三〇〇議席(選挙後の追加公認を含め三〇四議席)を獲得したが、当宮城二区ではNHK開票速報で落選と報じられた内海英男氏が開票終了の段階で本町の開票の結果、当選が判明するという珍事があった。本町のギンザケ養殖が日本一の座を占めたのもこの年からである。 昭和六十二年四月には国鉄の分割・民営化によるJR各社の発足、十一月の竹下内閣の誕生が大きなニュースであるが、エイズ感染の広まり、東京を中心にした狂乱地価などが通年の話題となった。 24

元のページ  ../index.html#56

このブックを見る