女川町誌 続編
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ツメタガイ、ウチムラサキガイ、アカニシ、イタボガキ、オニアサリ、イボニシ、アズマニシキ、サラガイ科。哺乳類―イルカ、マッコウクジラ。植物―トチ、カヤ 〔保管〕照源寺、女川町教育委員会、木村きむら敏郎としろう、遠藤源七えんどうげんしち 文献 加藤孝・木村敏郎「女川町浦宿尾田峰囲貝塚調 査概報」(『女川町誌』・一九六〇) 楠本政助・三宅宗議・樋口侃ひぐちかん『尾田峰貝塚出土 遺物』(一九六七) 三宅宗議『尾田峰の縄文文化』(一九六七) 東北歴史資料館『宮城県の貝塚』(一九八九) 三宅宗議『空から「考古」する』(一九九〇) 12 浦宿B貝塚(うらしゅく) 〔所在地〕女川町浦宿浜字浦宿 〔概要〕万石浦の北東部に位置する浦宿浜の北側丘陵に位置する。尾田峰貝塚に近接しており、国道三九八号線と接する標高二~八㍍・東西一五〇㍍×南北二〇〇㍍の広がりをもつ、台地上から東西両斜面にかけての遺跡である。従来考えられていた浦宿B遺跡は、尾田峰貝塚に近い西斜面の中腹部で、縄文時代中期(大木8、9)の土器が採集できる地点と、丘陵東側斜面の台地上から低地の畑にかけての遺物散布地だけであった。 しかし、平成二年(一九九〇)の女川町教育委員会の文化財パトロール調査の際に、西側の畑の丘陵寄りでハマグリ、アサリ、マグロ、シカなどの自然遺物が縄文時代前期(大木1)の土器といっしょに採集された。耕作の際などにアサリ、ハマグリ等の貝層が厚く堆積たいせきしていることが知られており、約四〇平方㍍の範囲であるという。 また、反対側の東斜面の散布地も黒色土層に伴って縄文時代前期を中心に中期・後期・晩期の縄文土器や土師器、須恵器の土器片が多数採集された。かなり大きな遺物包含層が存在するものと考えられる。 〔時期・型式名〕縄文時代前期(大木1、2a、2b、4、5、6)・中期(大木8、9)・後期(南境)・晩期(大洞BC)弥生時代?奈良時代・平安時代 〔人工遺物〕土器、石器―砥石といし、石製品 476

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