女川町誌 続編
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の一万年の御おん祝い。 四 民話の「語り部」岩崎としゑさん 岩崎としゑさんは明治四十年三月二日、桃生郡雄勝町(当時は十五浜村)の水浜に生まれた。三歳のとき、当町浦宿で瓦かわら製造を営んでいた母方の祖父に引き取られ、幼年期をここで過ごした。小学校入学を機に実家へ戻るが、卒業を目前にして、家事手伝いのため遠く静岡の親戚の家に送られる。ここで上級の学校へ進学し、一六歳、関東大震災の年に水浜へ帰った。事情があって再び静岡へ、そしてまた水浜へと、波乱の青春時代であったが、二四歳の年に本町指ケ浜の岩崎家に嫁いだ。 「娘(小姑)稲妻、がが(姑)雷で、嫁の涙が雨となる」といった俗謡が伝えられるように、当時は嫁にとって忍従が義務とされた時代であった。温かい夫のいたわりだけが頼りであった。六人の子供を抱えて耐え抜いた苦労がようやく実りかけようというころ、四二歳のとしゑさんは思わぬ大病にかかった。九死に一生を得たこの闘病中に、としゑさんは魂が肉体を抜け出して自在に飛び回るという、異常体験をしたという。六二歳にして再び生と死の境にさまよう大患に見舞われたが、幼かった日の寝物語に聞いた数々の昔話が、不思議なほど鮮明によみがえってきたのはこの大患を境にしてのことであったと、としゑさんは述懐する。 その大患を奇跡的に乗り越えてからしばらくして、小学三年生の孫娘が目を病んで入院し、としゑさんが付き添うことになった。病院生活の徒然つれづれを慰めようと話し聞かせた昔話は強く孫娘の興味を引き付けた。せがまれるままに夜となく昼となく、思い浮かぶままにとしゑさんの語りが続けられた。やがて孫娘の発案で、こんなにたくさん知って 436

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