女川町誌 続編
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☆波切不動尊の加護 昭和六十三年十月六日、小雨の中を女川駅に降り立つ老夫婦の姿があった。石巻からの日帰りのささやかな旅ではあるが、二人にとっては四〇年のあいだ心にかけてきた願いを満たす大きな旅であった。 夫の伊藤幸弥さんは八五歳、妻のふみ子さんは七七歳、共に長寿と健康に恵まれ、一五人の孫と一人の曾孫に囲まれて、今は幸せいっぱいの二人である。 しかし、終戦の年(昭和二十年)の十一月十三日、住み慣れた樺から太ふとを追われ、引揚げ船に乗り込んだ日のあの不安な思いは、深く心に焼きついている。危険のうわさの強かった真岡から函館までの航海であった。七人の子供を抱えた中年の夫婦には、海の安全に霊験のあるという波切不動尊のお守りにいっしんに祈り続けるよりほか はなかったという。お守りは、出発の直前に知人に勧められて、波切不動尊を深く信仰する人の家を訪ね、書いてもらったものであった。 航海の無事は波切不動尊の加護と信じる二人は、それからはお守りを仏壇に祭り、供養と祈りを欠かすことがなかった。それにつけても、近辺に波切不動尊を祭っている所はないものだろうか。和紙に筆で書かれたお守りも長い年月でボロボロになってしまった。直接お礼参りをしてお守りをお返ししたいという思いが次第に強くなった。会う人ごとにその所在を尋ね続けてきたが、最近になって思いもかけないすぐ近くに、しかも長男の嫁の祖母の稼ぎ先である女川に祭られてあることを知った。重なる宿縁の深さに驚きながら、この日のお礼参りとなったのであった。 432

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