女川町誌 続編
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をわずらったという話が実話として伝えられている。 何の変哲もないこの石(砂岩)が、いつごろから信仰の対象とされるようになったかは知る由もない。だが、この石の下には別の石が置かれてあるという話も伝わっているから、「あまふり石」は元来「天降り石」、すなわち隕石いんせきなのではないかとする説もいちがいには否定できない。雨乞いの切実さは古来農村地帯のもので、漁村地帯にこうした雨乞い信仰の対象が存在するのはかなり珍しいことでもあるからである。 一方、仙台市天文台長小坂由須人氏(若いころ本町所在の東北大附属地磁気観測所に勤務)に伺った話によると、日本でこれまでに発見された隕石で最大のものは径十数 センチメートルにすぎないこと、古くは信仰の対象とされることが普通であったが、神棚に供えてまつる例だけで、他の大石を上に置いて野外にまつる例は知られていないとのことである。しかし、小坂氏も「雨降り石」の隕石説は完全に否定されるものではないと話している。かりにそうとすれば、かなりの大きさのものかもしれないし、信仰の対象であるから発掘ができないとしても、金属探知機の使用で隕石の存在の有無の確認ができないことでもないらしい。折をみて、石浜地区の人々の了解を得て、神事を行ったうえで確認したいものである。 二 大沢地区に伝わる神事「やぶさめ」 鎌倉時代に武士のあいだでさかんに行われた武技訓練のひとつに「やぶさめ(流鏑馬)」がある。方形の板を串くしに挟んだものを適当な距離を置いて三か所に立て、疾駆する馬上から矢を放ってこれを射落とす。やぶさめには、弓技を磨くという直接の目的にかなうだけでなく、気晴らしに格好な一面もある。それが犬追物いぬおうものと並んでやぶさめが鎌倉武 430

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