女川町誌 続編
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昭和五十年代後半から全国的に高まった「ふるさと再発見」の声に応じて、本町でも三十三観音参道とこの旧道の整備と保守の声が上がり、その具体化が行政・民間一体となって進められた。三十三観音参道は登り口の波切不動尊講中、女川実業団が、御殿峠旧道は石浜・尾浦・御前の各実業団が中心となり、それに各地区老人会をはじめ多数のボランティアが整備とその後の保守に協力している。整備された両道の所々には教育委員会の手で、手作りの道標や標示板も立てられ、名実ともに「ふるさと歴史の道」として定着し、町民の散策道として親しまれている。 このうち、御殿峠旧道を石浜から数分登った右手、渓流に近く、「雨降り石」と伝えられる大石がある。古くから雨乞ごいに効験のある石として、町内よりはむしろ近隣農村の人々から深い信仰を寄せられていた。江戸末期に稲内(井内)の場方(農村部を指す)の人々が奉献した小型の石造物が残っている。 古老の中には、日照り続きの折、蓑みの笠かさに身を包んだ百姓の一団が、足取りも重く、黙々と「雨降り石」を目指す姿を幼時の記憶として鮮明に残す人もいる。今こそそうした姿は見られなくなったが、こうした話を総合すると、大正末期まではこの信仰は生きていたように思われる。 町内ではこの石について「叩たたくなどの不敬な行いがあると、ひどいたたりがある」とし、大正のころ、ある知識人が「そんな馬鹿ばかなことがあるものか」と、石に向けて放尿したところ、間もなく生死の間をさまよう大病 429

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