女川町誌 続編
388/596

が、分校創設の当初から職員として勤めるかたわら良き相談相手として木村町長を励まし、支えた千葉龍三郎氏、和 田勇雄氏、佐々木隆雄氏の献身を忘れることはできない。 以下、昭和六十三年度の同校学校要覧により、沿革、校地、校舎、諸統計を抜粋する。このうち、生徒関係の統計は、本町の変遷を知る上で将来貴重な資料となると思われるので、できるだけ多く掲載した。 1 沿革 昭和二四・ 九・二四 宮城県石巻高等学校定時制課程女川分校として発足(男子普通科夜間一学年定員四〇名、 女子家庭科昼間一学年定員四〇名)、校舎は女川一中南校舎(特別教室棟、平屋)を充てる。 昭和三八・ 一・一四 専用新校舎(木造)新築移転(校地は現在地) 昭和四三・ 四・ 一 定時制家庭科募集停止、全日制課程家政科(一学年定員四八名)を設置 昭和四六・ 四・ 一 定時制普通(夜間)募集停止、全日制課程家政科募集停止、普通科(定員男女九〇名)を 設置 昭和四七・ 四・ 一 全日制課程普通科定員増により、学年定員男女一三五名とする。 昭和四七・一〇・一五 新校舎(鉄筋四階建て)落成 昭和四八・ 四・ 一 独立昇格により宮城県女川高等学校として発足 昭和四八・一〇・二五 開校記念式典を挙行、校旗・校歌制定 昭和四九・ 四・ 一 全日制課程普通科定員増により学年定員男女一八〇名とする。 昭和五二・ 一・ 七 体育館新築工事竣工 356

元のページ  ../index.html#388

このブックを見る