女川町誌 続編
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の縁で造営工事の終了と同時に本町に居を定め、建築業を開業した。勤勉、誠実な人柄により、校舎建築をはじめ町の公共建築物の数多くを手掛け、町民及び当局の信望を得た。後に製材業に転じ、一代にして当地方業界の雄としての地位を築き上げた。 氏は報恩の念が厚く、縁故の深い各地の寺社に梵鐘ぼんしょうを寄贈して、両親はいうまでもなく、恩師、旧友、さらには広く社会への報恩の誠を表し、その数は十有余に及ぶ。また、教育についての深い理解と関心は、終生変わらず、女川一中、一、二小、女川高校などへの校門あるいは国旗掲揚塔の寄贈は枚挙にいとまもない。さらには基金を本町に寄せて町内全小・中・高校の卒業生に記念品を贈る制度を創設され、その事業は今も継続されている。 教育、更生保護、社会福祉と多面にわたる氏の社会奉仕の功績は、紺綬じゅ褒章三回、日本赤十字社特別社員金色有功章をはじめとし、本町の教育行政功労者として表彰されるなど、数々の表彰に輝いた。しかも、謙虚にして信念の人であった氏の奉仕活動は、他から求められてのものでも、名利を求めてのことでもなかった。「自分で意義を認めない限りはどんなに頼まれても応じることのない人であった」とは、元女川一中校長佐藤春雄氏の述懐である。 氏は昭和四十四年(一九六九)二月十七日、逝去されたが、その報恩、奉仕の精神は、ライオンズ・クラブ活動によって社会奉仕を続ける長男喜典、私設の奥清水公園の無料開放で知られる二男豁に受け継がれている。 301

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