女川町誌 続編
323/596

らには篤志の個人の奉仕も見られるようになった。 人々の善意に支えられた崎山展望公園は、抜群の地の利もあって、今、ここに憩う人々の姿は年間耐えることがない。その中には特に外来者が多く、女川を代表する顔の一つとなっている。 本町には地区の人々に親しまれる公園としてほかに鷲神公園がある。 ☆かっぱ農場 今でこそ「観光農園」の看板は見慣れたものになったが、昭和三十年代には果樹の生産地でさえこの言葉はほとんど聞かれることがなかった。そうした時期に、果樹園自体が珍しかった三陸沿岸で、しかも陸に上がったかっぱが選んだ再起の道が観光農園であった。世間が冷笑でこれを迎えたとしても一概に無理とはいえなかったのかもしれない。 前人未到の道を開拓し、今日を築くまでの鈴木政雄氏夫妻の辛苦は残念ながら紙面の限られた本誌で尽くすことはできないが、賢明な読者が、この要約した叙述から、夫妻からの次代への伝言を読み取ってくれることを期待する。 政雄氏は大正九年、九人兄弟の長男として指ヶ浜に生まれた。父政吉氏は昭和二十年代御前湾でカキの養殖を初めて手掛けた人である。早くから外国航路の船員を夢見ていた政雄少年は、義務教育を終えると宮城県指導船に乗り組み、やがて大阪商船に入社し、夢の実現に一歩を進めた。やむことのない向上心は、高等教育を受けた者にさえ難関であった一等航海士の資格取得へと少年を駆り立てる。だが、努力が実り、二三歳にしてその免状を手にした氏が、外国航路の高級船員として青春を謳歌おうかした年月は余りにも短かった。戦争が、そして敗戦が氏の人生行路を大きく変えることになった。敗戦後の経営不振で職を失い、帰郷して漁船の船長として再起を図った氏は、積もり積もった心身の過労から、肺結核に冒さ 291

元のページ  ../index.html#323

このブックを見る