女川町誌 続編
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十一年)が本町に事業所を置いて小乗浜で採石事業を始めたのは昭和四十四年のことであった。採石場は南側防波堤の基部から東側、高崎山の山麓部に当たる。平成元年までの約二〇年間で約三万平方㍍を海面下一七㍍まで掘り進み、石はほぼ採り尽くされたので、現在、採石場を高崎山中腹まで拡張し、新たに砕石プラントを建設する計画が進められている。 この計画で注目されるのは、採石の搬出に縦坑投入方式と呼ばれる、東北では初めての方式が採用されることである。採石現場から垂直に一〇〇㍍の縦坑を掘り、その底部でこれと水平に接続する長さ二二〇㍍の横坑を設ける(図1)。縦坑に投入された採石は横坑を通ってトラックかベルトコンベアで採石プラントへ運ばれる。この方式はコストダウン、公害防止、交通安全対策のうえで他の方式に比べメリットが大きいとされる。 拡張された採石場からは二五〇万立方㍍の採石が可能と推定され、当初の三年間は本町を中心とする公共事業、 女川原発建設等での需要に充てられている。首都圏の石不足、全国的な川砂の不足が問題になっている折から、採石場から直接舟積みのできる同事業所の将来は明るく、土木業界からの期待も大きい。 高崎山北半分の地層は葉理頁岩けつがんと砂岩から成る風越層であるが、採石場はこのうち特に硬質の岩帯が走っている部分で 269

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