女川町誌 続編
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第三節 工業・鉱業 昭和五十七年度の宮城県工業統計によると、本件六三町村中、本町は工業製品出荷額で柴田町に次いで第二位にあった。しかし、その九五㌫は水産食品加工と製氷が占めており、ほかに二㌫の製材業が目を引くだけで、その構造は地方資源型、低成長型と評価されている。この特質は自然条件の制約が企業誘致を困難にしている本町にとって宿命的なもので、その克服は容易ではない。 水産食品加工と製氷についてはすでに述べたので、出荷額の多少はおいて、この分野での異色の企業の足跡をたどることにする。時の流れに押し流されて消えていった例はあっても、そこには先人の創意と進取の覇気が脈々と波打つのが感じられる。 ☆土石業 石浜から指が浜にかけて分布する稲井層群大沢層中の粘板岩は、その先進主産地である雄勝町の山下寅蔵氏(十五浜村村長)らの指導を受けて、石浜の遠藤運治氏が明治三十年代に採掘を始めたといわれる。以後石浜、御前の人々を主に、あるいは牡鹿スレート株式会社を設立し、 あるいは「自掘り」といわれた個人の業として一時期かなり盛況を呈した。 当初は天然スレートの名で、屋根ふき用の需要に応じていたが、昭和初期から学童用石盤として国内だけでなく、インドをはじめ東南アジア各地へ輸出するようにな 264

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