女川町誌 続編
260/596

にある。生産高も六十一年度、六十二年度と二年連続して志津川を抜き、全国第一位を記録した。 ⑺ 女川町サケ・マスふ化場 マス類の人工授精は十五世紀にフランスで初めて試みられ、その企業への応用は十八世紀以降アメリカで始められた。わが国では「和漢三才図会」(正徳三年=一七一三=刊)で大阪の儒者、寺島良安がサケの人工ふ化の可能性を述べており、『北越雪譜』第一巻(天保七年=一八三六=刊)にもサケの人工授精によりその増殖を図る方策が述べられている。しかし、それは実現に至らず、明治九年、内務省勧農局水産係であった関沢明清が殖産興業策の一環としてサケの人工ふ化放流事業を取り上げ、茨城県那珂川でこれを実施したのが最初となった。この事業はその後北海道及び本州各地に広まり、実施主体も国・道・県・民間と広範囲に及んだ。 昭和五十四年度に「サケ・マス資源増大計画」を策定した国は、現在この計画に準拠して国営サケ・マスふ化場に 228

元のページ  ../index.html#260

このブックを見る