女川町誌 続編
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苗二年後ほどは急激な成長は見られないが、以後の半年で急に大きくなり、収穫できるようになる。 本町におけるホヤの歴史は浅く、昭和三十五年ごろに五部浦地区で始められたものと考えられる。五十年代の末になると経営体数は急増し、一時は三〇〇体に達する勢いであった。しかし、このような急激な普及は、当然の帰結として生産過剰に陥り、その反動として目立って経営体が減少しているのが現状である。今後の課題としては、販路の拡大を第一に挙げなければならないだろう。 なお、ホヤを専業とする漁家はほとんどなく、ワカメ・カキ・ホタテガイの養殖と併営され、しかも主体とはならないので、漁業センサスには本町の場合、ホヤ養殖の経営体数は表れない。また、収穫したホヤのかなりの量が魚市場を通さずに流通しているため、年々の収穫高の捕捉も極めて困難であるばかりでなく、正解を期することができない。 ⑸ ノリ わが国のノリ養殖の歴史はカキについで古く、三五〇年ほど前の寛永末期から慶安初期の間に始まったと推定されている。宮城県では安政元年(一八五四)、気仙沼の海産物商猪狩新兵衛が江戸の大森においてノリの養殖を習得し帰郷して気仙沼湾内十間場(内ノ脇・前浜という説もある)にナラ材の柴を建て込んで行ったのが最初とされている。同じ気仙沼の横田金兵衛氏と共同で試みた養殖も最初の三年は失敗続きであった。そこで江戸から熟練者を招くなどして努力を続け、四年目にようやく成功することができた。気仙沼湾の養殖業者は猪狩氏の没後、市内神明崎に猪狩神社を建立してこの先覚者の遺徳を伝えている。これは本邦唯一のノリの神様であろう。 その後、明治五年には雄勝湾でも養殖が始められたが、松島湾・万石浦でノリの養殖が始まるのは明治三十二年に 225

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