女川町誌 続編
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付着、変態し、成長してパイナップルのような形の成体となる。 ホヤ類は日本だけでも百数十種知られており、種類は極めて多いが、食用として利用されているのはマボヤだけである。マボヤは北海道から九州まで広く分布するが、特に多いのは金華山から宮古付近までの三陸海岸で、水深一〇ないし二〇㍍、水温セ氏五ないし二〇度、比重一・〇二五前後の外洋性の所に多く生息する。ホヤ独特の風味は、ホヤで新しく発見された不飽和アルコールcynthiaolによるもので、この独特な風味のためか全国的になじみの薄い食品であったが、三陸沿岸の人々には古くから賞味されてきた。急激な経済成長の時代に入って、全国大都市への三陸沿岸出身者の進出が増えるに従って、ホヤも次第に広く食されるようになった。また、グリコーゲンに富む栄養食品としての価値も知られるようになり、昭和四十年代後半には、大都市における一般の需要が天然産のものによる供給を上回るほどになった。このころから各地のホヤの養殖は急速に盛んになる。 ホヤの養殖は明治三十八年ごろ、唐桑町舞根の畠山豊八氏が、船のイカリ綱に使用していた山ブドウのつるにたくさんのホヤが付着したのにヒントを得て、山ブドウのつるを付着器として試みたのが初めといわれる。付着器は五㍍ほどの孟宗竹を束ねて浮子とし、コールタールで煮染めた四~六㍍のわら縄を下げ縄として垂下する。この縄は一年ぐらいで取り替える。このような養殖法が昭和三十年代半ばまで、唐桑地方で細々と続けられていた。 昭和三十五年ごろからはパーム・コードが用いられるようになり、次第に周辺地域に普及するようになった。その後、パーム・コード、マグロ延縄はえなわの中古ロープ、化繊ロープの組み合わせによる種々の型式が考え出された。中には、マグロ延縄中古ロープの二、三本撚よりに、カキ殻を一五 センチメートル間隔に挟んだものなどもあった。 ホヤの産卵期は、宮城県では十二月中旬から一月下旬で、産み出された卵は、三日から五日で付着する。ホヤは採 224

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