女川町誌 続編
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阿部源太夫 昭和五五・一二~ 金 哲義 昭和五五・一二~ 須田 悦夫 昭和五五・一二~ 阿部 貞輔 五八・ 三~ 木村 幸 五八・一二~ 平塚喜代蔵 五八・一二~ 宮内かをる 五九・ 二~ 佐藤 武雄 六一・一二~ 阿部もと子 六一・一二~ 阿部 たき 六一・一二~ 高橋 健 六一・一二~ 布施 悦子 六一・一二~ 木村豊三郎 六一・一二~ 木村 正武 六一・一二~ 高橋きぬ子 六一・一二~ 平塚 昭治 六一・一二~ 遠藤 運治 六一・一二~ 東海 慶弥 六一・一二~ 木村智恵子 平成 一・一二~ 第八節 女川町心身障害者通所授産所「うみねこ学園」 昭和三十年(一九五五)ごろから、教育関係者を中心にいわゆる知恵遅れの児童・生徒の教育についての論議が高まった。これを受けて学校教育の現場で取られた具体策は、これらの児童・生徒を対象とする独立した学級の設置であった。独立した学級の設置に当たってもっとも難しい問題は入級者の決定であり、保護者の承諾を得ることである。入級者の決定は医師を加えた委員会による審議を経ることで一応の客観性を得ることができたが、保護者の説得には担当教師の血のにじむような努力が必要であった。 本町では昭和三十五年(一九六〇)にまず女川一小に、三十七年に「実践学級」の名で女川一中に、五十三年に女 159

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