女川町誌 続編
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語り継がれる苦労話も多い。特に洋上遥かに浮かぶ江島は、冬季に定期船が欠航になる程度の風波は珍しいことではなく、そのため即日開票が翌日に繰り延べられたこともあり、この時の衆議院議員選挙では当選挙区の当選者が本町の開票結果で決まった形になったという。また、自衛隊のヘリコプターに出動を要請して投票箱を運んだこともあった。選挙と悪天候が重なる確率はそう高いものではないが、選挙管理委員会にとっては今も他の市町村とは一味ちがった苦労の種であることに変わりはない。 第三節 行政区 町村制の施行によって、明治二十二年(一八八九)五月十一日、本町(当時女川村)は女川・石浜・竹浦・尾浦・御前・出島・江島・飯子浜・横浦・鷲神・浦宿・針浜の一二行政区を設け、それぞれに区長を置いた。区長の選任は村議会において選挙し、村長が任命した。太平洋戦争の戦局が厳しさを増した昭和十八年(一九四三)六月、挙国態勢強化の一環として町村行政運営の円滑を図り、町村制の一部改正を行い、区制を廃し、これに代えて部落会制度を設け、部落会長を置いた。 昭和二十年(一九四五)八月十五日の終戦によって占領軍による事実上の軍政が始まると、その指令により部落会制度は廃止された。このため、制度上、住民との直接の連絡調整機関がなくなり、各町村ともその対策に頭を痛めた。本町は苦肉の策として、二十二年、町議会の決議を経て各区に嘱託を置いて急場をしのいだ。しかし、嘱託の身分な 104

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