女川町誌
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十九、名僧 独国和尚 一、独国和尚研究調査の経路 女川地方には独国和尚の庵寺を復興した庵寺があり、また幾多の石碑もあつて、次のような事なども言い伝えられている。独国は鍛冶屋(木村家)の五代前に生れたキカン坊で、友達からも好かれず、野良働きもいやがり、盆に砂をまいて手習いばかりして居たので、お寺の小僧にやつたという。その後米沢の岩屋にこもつて修業し、次第にえらい坊さんになり、諸国を巡つて布教し、時々故郷の庵寺に帰つて来ては、いろいろ碑を建てたり、布教をしたものである。庵寺の入り口に近年まで松の枯木があつたが、之を地方では「竜灯の松」と言つた。その理由は独国様が郷里に帰られる数日前にこの松の上には独りでに灯籠がともる。地方の人々はこれを見ると「独国様がまたお帰りになるぞ」と言つてお待ちしたものである。そしてこの灯を竜灯と称したので、誰言うとなく松をば「竜灯の松」と言つたのだということである。 或る年のこと、福島地方で大旱魃のあつた際、大勢の僧侶が雨乞いの祈禱をしたが、少しも雨が降らない。そこにみずぼらしい黒衣の雲水が来て、進んで祈禱をしたら忽ち大雨沛然として降り、一同を驚かしたと同時に衆僧からは妬みを買つたといわれ913

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