女川町誌
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然るに之を藩政時代以来の人口増減の状況を見るに、寛永十八年(一、六四一)より明治七年に至る二百二十八年の間、女川地方に於て戸数に略々増減の無かつた部落は、小乗・横浦・野々浜・飯子浜・宮ヶ崎・竹浦・尾浦などであつた。更に明治七年より同二十三年までの十五年間に戸数の増減を見なかつた所は、小乗・高白・飯子浜・宮ヶ崎・石浜・桐ヶ崎・御前浜などで、針浜・大石原浜は僅か一戸増加していた。これを全村で見ると総世帯は五三〇戸、人口は三、六八一人で、増加した戸口は六二戸と四九〇人とになつている。そして一年平均の増加は僅かに戸数四戸余、人口三三人余に過ぎなかつた。当時の本町の各浜は交通に恵れない寒漁村で、道路という道路は何れも嶮しい山道で、陸上の連絡は極めて不便なものであつた。従つて各浜は何れも半漁半農の生業で、全く物資に不自由な乏しい生活状態であつたので、前に36

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