女川町誌
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をおびて浜々の我が家へ鳴り伝わつて行くような感じがするので人々は、半年間の労苦も忘れ涙を流さんばかりに喜んだという。翌七日は常の例祭に何倍かするような参詣者で御殿は大賑わい、鐘は参詣者が喜びと祈願を込めて、行く人も行く人も撞くので一日中鳴り響いて居たそうである。祭りの翌日からは法印が祈禱をする明け六つと、暮れ六つにだけ撞くので時を知らせる鐘ともなつた。明け六つは今の午前六時、暮れ六つは今の午後六時である。村始つて以来と言われるような大賑いも祭りが終つて正常の暮しに返つて見ると淋しさが迫つて来るような感じがする。朝夕ほめそやしたり下にはおかぬ言葉づかいで訪問してくれた村の有志家も事業が終ると、海や山に出て鐘師の宿へは音沙汰がハッたり止んでしまつた。鐘師には不満を言いたいような気もするが、陽春を迎えた農漁村には止むを得ないことでもある。斯様に来客も無くなつた所に自分の身のまわりを世話してくれた隣家の娘を何時までも呼び寄せるわけにも行かないので、その方が村の有志の訪問がないことより実は彼にとつて心の底からの淋しさであつた。自分にこのような事情があるだけに、又彼には事業が終つたのに何時まで滞在してるんだろう、どうもおかしいと村の人達が妙な目で見てるように思われてたまらなくなり、心ならずも村の人達に別れを申し出た。すると若者二人をつけて梁川まで送り届けることになつたが、婦人達五六人は御殿峠まで見送つて行つた。その中に無論隣家の娘も加わつて居たが婦人達は峠の下り坂の所まで行つて「御苦労様でした」「からだを御大切にね」「奥さんがお待ちかねでしょう」などといろいろな言葉が交された。彼の女も「左様なら」と言つたが耐えきれなくなつて顔に手拭を当て横の方を向いて、しくしく泣き出した。鐘師もこれまではさあらぬ体でかくして来たが三十台の若い血が抑え切れなく立ち戻つて彼の女の肩に手をかけ「どうぞあきらめてくれ、泣かないでくれ」と申訳でもするようにやさしく慰めいたわる男の涙を一しずくおとしてつらい別れをして行つた。お供の若者達も婦人達も何とも言うことが出来ずただ眺めて居たそうである。896 御殿峠の展望(石浜より)

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