女川町誌
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に努めた結果その根絶を見るに至つた。⑸人情1島民は概して醇厚である。婚姻等の慶事のある毎に、親戚が相集つて、一両日間の漁事の手伝をする。之を「魚取り」といつている。それは必要な魚類を家主に購入せしめない様にする為で、その上、米・酒、その他の費用もこの「魚取り」によつて弁ずる様に申合せたものである。残余は売つて金とすることもある。この美風は婚礼のある毎に見られる所である。その他和衷協同の精神の事業の上に表れたものをあげると、Aの畑に肥料を運搬する時、互に相寄り相助ける。またBの麦打の場合も同様で、これを「ゆい」といつている。Cの舟を浜に上下する時なども大船の場合は親族他人の別がなく、部落民一同で手伝つて上下するのである。2一族中故人の忌日には、早朝からその家に行つて、霊位に香華を手向けるのが習慣となつている。3病人等のある場合は機を逸しないで訪問慰籍する。4生命に関する重大の場合には(重病人とか出征軍人とか)神社に参籠して恢復又は武運長久を祈願する。5土産物を分配する。仮令ば部落内稍遠くなりとも饗食膳の一部を届けて家翁を喜ばしめるとか、其の親族の老人に届けて慰安するとか、又遠く旅行した時などは一族の家族一同に土産物を分配する。6親族又は姻戚間に初産ある場合は其祝として米一升宛持参する、之を「肥立米」といつてる。又之に反して死者あれば必ず弔問するの礼がある。7庚申講父老の講社で、祭祀の美風を維持すると共に相互の親睦を旨とする。(講員順番に朝晩の饗応を出す)8観世音講(かんのん講)老年婦人の講社で、葬式法事等主に死者に対する冥福を祈る。 9地蔵講中年婦人の講社で趣旨は安産を祈念する、兼ねて相互の親睦をはかる。10年祝男子は七、十五、二十五、四十二、四十九、六十二才。女子は九、十三、三十三才。男子七才、女子九、十三才の時、主に近親及同年祝同志中を廻り歩いて祝宴を催し、引出物の祝儀に預る。又「カセトリ」といつて部落中餅を貰い歩く風がある。十五才以上の年祝に至りては親戚友人を相会して祝宴を催すことや、当日神社に参拜することなどは一般である。11獅子振毎年旧正月八日午後より始める、之は青年の担当するもので部落にとつては年中行事の大事な仕事である。出島草創以来の旧慣で元新年に当り、其年の災厄を払わんとする心持である。屈強の男子獅子面を被りて部落中の家々を廻りて鍋を吊す「かぎ」及び其の家族全体の頭部を獅子の口にて嚙む様をする。これが其の者の災厄をのぞく意味であろう。更に威勢よく舞つて座敷中を歩く、獅子の胴の部は布にて造る此処に青886

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