女川町誌
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二、仙台藩の人口政策藩政時代の宝暦・天明・天保年間頃は、打続いた冷害や水害等によつて、藩民の被つた災害は甚大で、これが為に生じた封内の飢饉は深刻なものであつた。飢饉に襲われた各地の農民は四方に離散して、田畑を耕作する人手に不足し、村々の夫役に従事する者も少ない状態となつた。そこで藩は農民の転出は勿論、侍の次男三男に対しても、住居やその他についても、規定を設けて他出を防止した。その後十数年後の安永年間には、奉行から代官に対して、次の様な訓令を出している。31

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