女川町誌
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た在京の石巻出身者星沢喜代助氏が、この鳥居を女川港内に建てたいから、女川町に於いて承認してもらいたいと須田町長に申入れて来た。二十余年に亘り建てようとする人もなく、運賃こそ払つたが五千円という石材代を払つて居ない以上、今となれば何人であつても石屋にその代金を払つて町内に建てゝくれるのであれば異議あるべきはずはない。それにしても町長は議会の協議にかけ、更に各部落会長を以て組織する町常会にかけたら皆賛意を表したので、その旨星沢氏に伝えた。然るに石材代寄附は仙台石巻方面から募集する関係上金華山に立てたいと申入れして来た。そこで町長は三日間に異議がなかつたらそのまゝ承諾したものと考えて処置されたいと回答した。従つて三日後には異議さえなければ石屋に現金五千円を支払つて、星沢氏が引受け金華山に建立することになつたわけである。この事情を聞いて憤然立つたのが熊谷正男・新田道守・高田平四郎の三氏で筆者にその報を持つて来たから、直ちに賛意を表し四人の名義で農業会から金五千円を借り受け、若し町民が我等の呼び掛けに応じられない時は、四名に於いて負担建立する盟約をたてて稲井に行つて星沢氏と会見し、石屋阿部勇之丞氏に五千円を渡し証書を取つて先づ女川の物とした。斯くて町有志に会合を求むること二回に及んだが時局柄でもあり前の失敗にこりた為めでもあり、又我々四名の力が末だ足りない点もあつてか、殆ど乗り出してくれる有志はない。そこで四名は他の力を借りず建立することに決議した。さて土地を選定して見たら道路は許可がむずかしく、海岸は県と漁業会の承認に少なからず手数がかゝるらしい、さりとて観光金華山一の鳥居として目立たぬ場所に建てゝは意義を成さない。そこで水産実験所建設の際道路用地を寄附した角浜の山の残地が誰の所有地になつてるか町の図面を調査したら僅かの面積ではあるが明確に木村庄五郎翁の所有地になつてることがわかつた。所有者もよし場所も最良である早速行つて建てさせてもらいたいとお願いした。結局永久無償使用願いということで随分虫のよいお願いではある。折りしも木村老人と家督の木村寅治826

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