女川町誌
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七、金華山一の鳥居石巻から渡波までの牡鹿軌道株式会社は、大正十一年九月三十五万円に増資すると共に㈠名称を金華山軌道株式会社と改称し㈡馬車鉄道であつたのをガソリン機関車鉄道に改め㈢渡波から女川まで延長した。当時の女川人は非常なる感激と希望に満ち特に金華山への参拝観光者は、この軌道により女川からと大なる確信を抱いたようであつた。そこで木村熊吉氏等数名発起人となり、当時の船着場である今の木村慶治郎氏宅附近に金華山一の鳥居という石の大鳥居を建立せんと計画し、募金に着手し一面石材をも注文した。かくて石材は佐々木宮司揮毫の「金華山」という額まで揃えて到着したので、運賃を払つたが募金はそれ以上に進まず、星移り月変り二十有余年苔むしても、木村氏の歿後テコ入する人はなく、稲井の石屋阿部勇之丞氏はただかこつばかりであつた。昭和十八年春この由を聞い825

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