女川町誌
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民より重要視されるようになつた。五、女川観光の宣伝昭和三十年の秋、話合の結果、十二月石巻市・女川町・牡鹿町・金華山社務所の四者を以て、金華山牡鹿半島観光連絡協議会を結成し、割合を協定して醵金し観光地の整備宣伝等に努力した。形として残つた主なる事業は金華山に案内標を約六十本たて、松島に宣伝鳥瞰図看板を建て、五十数万円を投じてポスターを作製し、仙北鉄道の新車購入毎に東京より仙台地区まで宣伝行進をしたことなどである。しかし最も大きい事業として残つたのは金華山港の修築工事である。その目的とする所は大型船の入港と、風波の際と雖も常時入港を可能ならしめること、更に接岸地と泊地の拡張である。何故か石巻会員の反対があつたけれども強いて成立せしめ地元牡鹿町より県に請願することになつたが、一転して関係市町に於いて強力に当局に運動を展開する旨、協議会長石巻市長より女川町長宛に三十一年十二月二十日付の文書が来た。その後石巻・女川・牡鹿市町長の運動と民間関係者の熱意が稔り、昭和三十四年より金華山港起工と決定した。次にこゝ一両年の傾向として、臨時列車による団体は石巻・金華山・女川、又はその反対の回遊が多くなつたことである。この臨時列車による団体は定期航路権を持ち、多年鉄道交通公社等に結びついて来た石巻の822 金華山島の埠頭

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