女川町誌
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四・〇町)であつた。凶作の影響が甚大であつたので、日常生活はもとより、教育・衛生等に及ぼしたことは顕著であつた。従つて之が救済の方法としては、前述の様に全国各地から同情の救援物資等を贈られたことであるが、本地方としては土地の開墾・町村の道路工事・耕地整理・薪炭製造などの事業が実施され、また一方には信用組合の設置・藁畑工・果樹栽培・養鶏・若布改良製造などが奨励されたのである。816

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