女川町誌
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ノ浦で津波の犠牲で死んだ人々の火葬をまとめて行うことになり、念仏も終つて愈々という土壇場に一人の人が「二度と見られないからもう一目でも」と、仏の顔を見ようと棺の蓋を取つたら死んだ筈の婆さんが後れ毛を騒いていた。早まつた行動は謹しむべきか。(その四)本吉郡のある部落の話だが、魚で儲つた当時の金で一万二千円の現金が欲しくなつて、結局金庫と心中、遂に魚の餌食になつた。また盲人の手を引いて逃げる途中残した家財が急におしくなり取りに帰つた人がそのまゝ津波にのまれて死んでしまつた。助かつた盲人は、あとで会う人ごとに「さてさてめあきは不自由なものだ」といつたとか。誠に好一対慎むべきことだ。(その五)ある部落では津波の恐怖からデマがとび「また津波がくるそうだ、早く安全地帯に逃げよう」としまいかけた荷物を再びかついだり背負つたりして山に逃げるなど空騒ぎを起し、被害調査に乗りこんできた一行が取りしずめるのに一苦労のひと幕があつた。(その六)夜中故強度の地震を感じてから驚いて一たん外に飛出した人も可成り永い間、津波を予測してまつたが異常も起きないので、再び床に入つて眠に入る寸前襲われ大事に至つた例が大部分だつた。第五節災害記念事業大津波の来襲により不慮の大被害をうけた本町に於ては、この災害を契機とし、今後の天災地変を未然に防止し、最小限度に喰い止めることを誓い、災害記念として小学校に災害記念文庫、町内数か所に大震嘯災記念碑と震嘯記念館とを建設したのである。災害記念文庫の設立津浪の標語808

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