女川町誌
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の八割の補助から考へ、又現在の県経済の状態から考へ、此の際条件に叶ふ処であつたならば、其箇処が実際に此度の震災によらざる箇所であつても、復旧工事として採択すべきであるかどうか。又採択するにしてもそれを如何なる程度に計画すべきか、此の二つの問題に対して工区として可及的多くの仕事を取り入れ、且復旧程度は完璧を期することに方針を一定した。其の結果として纒った概算集計表はこんなものだつた。震災復旧概算集計表復旧概算が拾八万五千九拾五円に纒まつたが、これを纒める迄に困つたのは工区員の中一人も未だ曾て災害に遭遇した者のなかつたことだ。この為に各係から出て来るのを見ると、実際貧乏人根情とでも言うか、苦しい経常費のみを取扱つているものであるから、復旧の方法程度の総てが姑息なものであつた。此点ではやはり日頃の修養の必要を痛感せしめられた。拾八万五千円の復旧費概算もあまり完全なものではないかも知れないが出して置くことにした。午後工区主任宛の電報が入つた。「オホツナミコウツウトゼツオホシク」、さあ解らない。「大津浪交通杜絶」迄は解るが、「オホシク」は何うしても解せない。工区全員鳩首協議した結果「オホスク」大須区だろうと云ふことになつて鳧がついた。工区員はいよいよ復旧工事の実施計画準備にとりかゝつた。測量にも相当日時を要するだらう。兎に角設計だけは間に合ふにしても浄書と図面騰写等と云ふ方に対しては、到底間に合い相にもないので、臨時修路夫として図工を傭入れることにして、明日のこともあり午後十一時三十分を限度として引きあげた。二、女川町役場の日誌昭和八年三月三日晴金曜日午前二時三十分大地震あり同三十五分止む、激震約五分間後、十五分位にして小地震あり(餘震)午前三時二十分大海嘯襲来最高位満潮時より約二米海岸地帯家屋床上浸水多数被害甚大午前六時三十分頃より罹災者に対し焚出配給県庁より中谷技師、師団より山田参謀憲兵隊より憲兵二名其の他慰問の為各種団体代表多数来場吏員一同午後十時迄夜勤三月四日晴土曜日罹災者に対し前日同様焚出配給802

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