女川町誌
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昭和二十三年一月十日、女川町女川浜字大原四七二ノ一、通称丸子山を敷地と仮決定(工事が相当進行の暁に於て、磯村産業が該地を町に寄附するが、それまでは寄附をしないという磯村氏よりの条件のため)ついで四月に着工した。始め工事については日産土木が請負契約をしたが、中途で解約し、谷口組がその後を継ぎ、四期に亘る工事を経て七、七五〇坪の敷地を約五百八十万円の経費を要して、二十四年十一月之を完成したのである。3、工事の経費収入国庫補助三、一一三、七八九・円〇〇起債三、一三三、〇〇〇・〇〇 寄附金四二五、四六七・〇〇町債三、一九五、四六七・五〇 財産処分二、四〇九、六一三・七八 一般歳入八、二九〇、八八七・一一 計二一、一三五、六二六・三九支出建築費一二、八五八、〇〇〇・円〇〇整地業五、五八〇、一〇五・〇九 電気水道工事費四三六、七四九・〇〇土木雑工事費四三四、九〇八・五〇 雑費四二五、九五三・八〇 計二一、一三五、六二六・三九 三、開校までの経緯昭和二十二年四月一日、石巻高等女学校教頭高橋武二郎氏が初代校長として就任し、女川小学校に於て開校の事務を執ることになつた。同年四月三日、女川町役場に於て新制中学の開校につき、当時町長欠員のため、助役鈴木喜六氏、中学校建設委員長植木新作氏等会合して協議が進められた。そして女川小学校長小松褜吉氏の発案により、女川小学校の旧教室七室を中学校の教室に一応充当することとした。695

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