女川町誌
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第四条と第五条とにと仰せられた。これは明治維新以後の政治の大方針を定められたものであるが、同時に教育もこの大方針に基いて行われることゝなつた。即ち開国進取の主義に依り、外国の長所を採つて我が短所を補うと共に、徒らに泰西文明に心酔せず、天地間の公道によつて、公明な政教を施して国民全般の知徳を向上せしめようとする御趣意であつたと、拝察せられるのである。この大方針の精神に基き、明治五年八月に至り、学制を頒布して、全国統一的の教育制度を布くことになつた。この趣意は前月に太政官より発せられた次の「仰被出書」に明示されている。人々自ら其身を立て其産を治め其業を昌にして、以て其生を遂るゆゑんのものは他なし、自を修め智を開き才芸を長ずるによるなり。而て其身を修め智を開き才芸を長ずるは学にあらざれは能はず、是れ学校の設あるゆゑんにして日用常行言語書算を初め、士官農商百工技芸及び法律・政治・天文・医療等に至る迄凡人の営むところの事学あらざるはなし、人能く其才のあるところに応じ勉励して之に従事し、しかして後初て生を治め産を興し業を昌にするを得べし。されば学問は身を立るの財本ともいふべきものにして人たるもの誰か学ばずして可ならんや、夫の道路に迷い、飢餓に陥り家を破り身を喪ふ徒の如きは畢竟不学よりしてかかる過ちを生ずるなり。従来学校の設ありてより年を歴ること久しといへども、或は其道を得ざるよりして人其方向を誤り、学問は士人以上の本とし、農工商及び婦女子に至つては之を度外におき学問の何物たるを弁ぜず又士人以上の稀に学ぶものも動もすれば国家の為にすと唱い身を立るの基たるを知ずして或は詞章記誦の末に趨り、空理虚談の途に陥り、其論高尚に似たりといへども之を身に行い事に施すこと能ざるもの少からず、是すなはち沿襲の習弊にして文明普ねから634

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