女川町誌
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八、女川町の特殊性以上は地方団体一般的の問題であるが、女川町には更に特殊なる事業があつて一層赤字団体となるべき可能性があつたわけである。即ち女川港は東北地方有数の天然の良港である上に、金華山沖の大漁場を控え、大正末年の頃は国の指定漁港として気仙沼湾と女川港の何れをとるべきかにつき、本県並に本県議会が何れとも決しかね、遂に両者共にとした程の優秀性をもちながら、その後政治力・経済力その他の原因によつて次第に立ち遅れの現実を見たので、終戦後は町民の奮起心著しく⑴昭和十六年起工したる港湾修築事業の継続完成に努力し⑵昭和二十二年以来更に漁港修築事業を開始し⑶一面都市計画による重要幹線街路を拡幅鋪装し⑷県道女川雄勝線並に⑸女川大原線の改修等により港を中核とする経済力の涵養を企図し、更に⑹戦後の社会福祉行政に即応して公営住宅・海外引揚者住宅が母子寮・保育所・職業安定所分室の設置等、福祉施設の充実を図り⑺六つの小学校、四つの中学校舎の整備⑻消防施設の強化等々更に人口の増加産業の進展に伴う⑼上水道建設(約一億円)、更に多年の懸案解決して⑽町有魚市場上屋の建設等、戦後における本町の各種建設事業は急速なる進展を見たわけである。これ等諸事業達成のためには、極力消費的経費を抑制して、その財源とするよう努力したのであるが、如何せん毎年度の投資的事業量が膨大でありながら自主財源の乏しい地方団体の通有性として、又戦後の不安定な経済状勢と⑾徴税成績の不振とにより勢い事業費の財源を町債借入金にたよるより外に道なく、昭和二十二年度末現在の町債総額が二百六万四千円であつたのが、昭和三十年度末には一億七千四百六十四万五千円となつたのである。この町債を大別すれば、一般会計分が八千七百四十九万五千円で、上水道分は八千七百十五万円となる。更に三年後の三十三年末には二億二千二百二十七万六千円となり、一般会計分一億一千二百三十一万二千円で上水道分は七千六百四十四万三千円、それに魚市場622

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