女川町誌
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同二十四年には職員の給与ベースの改訂があり、三千七百円から六千三百七円となり、更に米国財務官ドッチ氏の勧告により国・地方を通ずる総合豫算の均衡化というたてまえで、地方配付税率が半減して、国税たる所得税、法人税合計額の三三・一四%が一六・一九%に減額され、この異常なる事態は、財政窮乏を一層甚しくしたのである。従つてこの間、地方税財政制度は相次いで改革されたが、昭和二十四年米国よりシャープ氏を団長とする税制調査団が来り、我国における国・地方を通ずる税制に関し詳細なる検討を行い、その結果地方配付税制度を廃して、新に地方財政平衡交付金制度を創設すべきことを政府に勧告し、政府はこれを全面的に受け入れて、昭和二十五年地方税制度を根本的に建て直し、地方団体の自主財源の増強を図り、一面地方配布税制度を廃して新たに地方財政平衡交付金制度を創設し、地方財政調整の徹底を期し、又公共土木施設・災害復旧事業費・国庫負担制度を実施する等地方財政の安定化を計つたのである。しかし職員の給与改定や一般行政のための物件費の高騰等により、折角の制度改正の効果も相当滅殺されたことは事実である。昭和二十六年の朝鮮動乱の影響により景気の上昇となり、地方税も前年度に比し収入が上向いたが、累年の窮乏に喘ぎつづけた地方団体にとつては、焼け石に水ほどの効果もなく、更にこの景気の下降と共に急速に窮乏への道を辿る団体が続出したのである。七、地方債枠の拡大この状勢に対し政府は止むを得ず、昭和二十五年以来地方財政計画上財政不足額があれば、地方債枠を拡大して辻つまを合せるように措置したが、この措置が地方団体をして、地方債を以て財源配分と同一視する悪習を馴致せしめ、その元利償還金は借り入れ団体の後年度財政負担となる結果を生じ、各団体ともに財政構造上、公債費の割合が急速に増加し、益々赤字額も大きくなることゝなつたのである。621

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