女川町誌
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第二章女川町の財政第一節町財政の基本一、女川町財政の基盤今の女川町は藩政時代は遠島女川組と称した遠僻の地域で、女川浜など二十の浜からなる寒漁村であつた。そして是等の浜々は何れも漁業を中心として聚落をなしていたが、第一編第一章に於て述べた様に一向戸口の増加しない地方であつた。それは概して交通が不便であり、また耕地が少ないので、食糧の自給自足が出来なかつたからである。現在も人口一万八千余を擁しながら、耕地として田が三十七町歩、畑が百二十四町歩を有つているに過ぎない。従つて全戸数三、〇八二戸の中農家が七六五戸あるが、農業を専業とするものが、僅かに四戸、自作農家は五九六戸もあるが、何れも零細農家である。また耕作種別を広狭によつて見ると、三反未満の耕作者が圧倒的に多く五九八戸で、一町以上の耕作者は僅か九戸に過ぎない現状であるので、穀類の大半は他地方に仰いでいるのである。然るに明治以来交通の発達と開拓の進展、それに港湾施設の整備に伴い、次第に戸口も増加し、産業も興隆して来た。就中漁業に於て一大発展を見るに至つた。明治七年に於ける女川村の全戸数四六八戸の中、漁業を生業とした戸数は二八二戸で、全戸数の六〇・二%に当つていたが、八十年後の昭和二十七年には全戸数二、八七三戸の中、水産576

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