女川町誌
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年に新立株式会社まで継続したが、その間日露戦争を経過し、戦争経済・戦後不況などの変動を通じて躍進した。更に大正時代には欧洲大戦が勃発して日本経済は甚大なる影響をうけた。次いで、昭和二年金融界に大恐慌が惹起したので、この年の十二月七十七銀行は株式会社宮城商業銀行と同仙台興業銀行とを合併して之に備えた。なお同六・七年に勃発した満洲事変、上海事変等の影響もあり、六年一月七十七銀行を東北実業銀行・五城銀行の三行が合併して新立株式会社七十七銀行として再発足した。七十七銀行の歴史はこの新立株式会社の合併によつて、その組織機関が改まり、行名は引続き七十七銀行と称したが、内容は全く一新し、現在の七十七銀行の在り方は、この時より始まるというも過言でない。第三節女川町の金融機関一、七十七銀行女川支店女川町に宮城商業銀行女川派出所の開設されたのは、大正八年八月十五日のことであつた。当時の開業の場所は女川村鷲神浜鷲神一六四であつたが、同十年九月五日、支店に昇格と同時に、鷲神浜字掘切山六四に移転した。また大正十三年四月六日には、株式会社東北実業銀行の女川派出所が鷲神に開設され、それが昭和三年三月一日に出張所となつた。この頃七十七銀行と宮城商業銀行などの合併があつて、宮城商業銀行女川支店は七十七銀行の女川支店と名称を変更した。更に同七年の三行合併により東北実業銀行の女川出張所は併合廃止となつた。昭和十四年一月一日、女川町商店街の大火の際、女川支店も類焼したので、鷲神浜字鷲神八〇の佐藤留七氏方に仮513

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