女川町誌
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尚前示の通路に当る米穀商並に石巻町・横町・旭町・住吉町の米穀商の店前と閧声を挙げて横行し何れも前同様値下を発表せしめ次て同夜十二時頃同町仲町石巻警察署門前に返し、同夜九時過頃不動堂の鐘を撞鳴したる為め同署に対し大小無数の石を投し同署の門燈其他の電燈四個、窓戸五枚、硝子戸八百七枚、留置所の錠前、通用門の戸其の他掲示場等を破壊し、以て名状すべからざる惨害を加へ且石油を取寄せ同署に放火すべき旨放言して暴威を示したるも翌十七日午前三時過に至り、同署巡査か竹刀を揮ひ署内より一斉に突出したる為め被告等及び他の群集一同は其の場を退散したるものなり。千葉政治外三十三名は其に此の暴動に加担し、政治は不動堂の鐘を打鳴し、初吉は懸け声を揚けつゝ数名と同行商店並に警察署に投石し、松治は同署前電柱に攀ぢ登り消燈し、茂三郎は坂下に集合して石巻署渡辺巡査部長に立退を要求し、米商に殺到暴行を働き、正は米商に押し掛け警察署に投石を煽動し、喜六も同様行為をなし外に同署裏に繋留する、汽船より石油鑵を持参しその節奪取者を殺せと暴言を吐き、政吉は多数と共に米商を襲ひ、忠雄は多数と共に裏町・立町・穀町・山下・門脇方面の米穀商に殺到して乱行を働き、末吉・常雄は同様手段にて騒擾し、金治・平吉・善蔵・重太郎・庄六・栄吉・林三郎・定一・友助・進・徳治・甚作・卯三郎・松之助・周治・一郎・清助・寿雄・孝一・正一・周助・丑吉何れも閧の声を挙け米商を襲ひ石巻署に投石し煽動声援等の行為をなしたるものなり。先にも述べた通り女川地方の漁民は多く米価は直に経済上にひゞくのであるが、淳朴で消極的にできているし、各部落分離して合同するに不便である上に、世論を作る事を知らぬ故、只米が高くなつて南京米を食わねば生きていかれぬと観念するばかりであつた。明治以後米価の変遷 462 462

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