女川町誌
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励試植せしめたので、当時発育頗る良好であつた。四十二年に於ては枠製蚕種三百四十枚を共同購入し繭の品質の一定を期する等奨励勧誘を加えた。明治四十四年種籾の塩水撰を実行したのを始め、短冊形苗代及正条植等をも奨励した。本年苗代品評会に於て賞状を受けたものが六名、本吉郡に於ける大日本蚕糸会の品評会に於て受賞者十七名であつた。大正二年麦作平年作に比し五割の増収、蚕業本年掃立枚数百五十六枚戸数百四十七戸収繭高五百二十八石、指導者として巡回教師二名招聘。大正三年作付反別三十三町九反歩、一反歩一石八斗四升三合。大正四年蚕業三月八日より五日間女川小学校に短期講習会を開催し聴講者四十余名。大沢共同稚蚕飼育所に教師一名指導せしむ。各部落巡回教師一名を置き、養蚕指導奨励し、桑園の造成と蚕種の選択に注意させた。大正十年空地利用梅柿の植栽、桐の植栽のあつせん、甘藷の普及栽培。大正十二年竹林造成、馬鈴薯栽培、横浦部落に養蚕部落組合を設置せしめ、養蚕教師を招聘し、養蚕共同飼育を為さしめたる結果極めて良好。大正十四年竹林の造成及馬鈴薯の農作等を奨励、横浦・大石原・野々浜御前部落組合に養蚕教師を招聘し養蚕の改良につとめた。昭和七年臨時耕地拡張改良工事補助の普及に努めた結果、畑に於て五町歩、田に於て五歩の開墾拡張を見た。昭和七年の土地面積四方里一二一広袤東西五里十八町南北二里426

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