女川町誌
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な近海捕鯨基地たる形は示しているが、近年は経営の集約化によつて、各会社(とくに最大の大洋漁業)は一貫作業でほとんど余すところなく鯨体を利用する。そこにはすでに「シシの分け前」たる残余物の放出さえない。さらに、鯨漁場の中心は北に移りつゝあるので、すくなくとも、大洋漁場の鮎川における鯨体処理率は、年々低下し、北海道の沿岸にその優位をゆずつている。金華山沖の鯨群とても無尽蔵ではありえいない。そして、漁獲中心の北への移行は、北半球各地の一般的傾向でもある。旅船の魚介水揚も戦後は全く絶え、こうして旧来のような水産加工の存立基盤はほとんど失われた。ミンク・ツチ鯨など小型捕鯨への進出は、こうした情勢に対処する一つの転身策であり、戦前のわずか一隻の試験的操業から、たちまちそれは十三隻に増加した。しかし開始数年は好況であつたが、近年はようやく頭打ちの情勢を示している。ともあれ、好むと好まざるにかゝわらず、旧来のような寄生的体制から脱せざるを得なかつたのであるが、この小型捕鯨の前途もまた多難である。こうしたゆきづまりは、また沿岸定置網に人々の目を注がせる結果となり、近年は多くの網の張込みが計画されているようだが、それにもおのずから限界はあり、磯漁さえ目に見えてその資源は細りつゝあるように思える。もちろん捕鯨の陸上労働は、なおかなりの労力を吸収し、さらに遠洋捕鯨の母船要員にも相当の人々が充当されている。しかし、真の技術的要因とみられるものはとぼしく、捕鯨業の発展とは逆に、むしろ地元労力のさばけ口はせばめられつゝある傾向さえみえる。海洋資源や漁業の科学調査はきわめて不完全であつて、明日の漁業の運命を占うにはもちろん足らない。そして、おそらく当分は金華山沖の捕鯨もつづくであろう。⑺寄生体制のもろさ402

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