女川町誌
395/1094

⑼ 水産製造業者 明治三十年度に於ては、工業は水産製造業者と職人との二種類に分けられ、製造業者は魚類・海草を材料とし二五 人程あつたが、職工は二四人あつた。 同三十三年には二六人となり、鰹節及び肥料等の製造業者で、其他の職工は二八人である。明治三十八年には鰹節 肥料製造は二八人、其他は二九人になつている。大正七年には同じく節製造業者は二五人、其他は二八人で是等は総て水産製造者である。 商業者(五十集)等は問屋に吸収され、工業者は水産製造家となり、漁業者は発展して遠洋漁業者となつたのである。 327

元のページ  ../index.html#395

このブックを見る