女川町誌
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一つは漁港指定方を中心としたるもので、他の二つは松島女川間鉄道と石巻女川間を臨港鉄道として請願したるもので、後者の如きはその構想がいろいろに解釈されて興味深きものがある。 尚この頃の往復文書を見るに広淵村出身遠藤良吉、赤井村出身斎藤仁太郎両代議士の力を少なからず借りている。 拜啓益御多祥奉賀候 今回其筋の照会に依り別紙意見書提出致し、来る四月中旬頃神戸に於て大会開催の趣に付き、極力主張貫徹致候間御援助下され度御参考まで差上候勿々 大正十三年三月四日 矢 本 平 之 助 松 川 村 長 殿 女川港湾及漁港に関する意見書 宮城県は女川湾なる天然の港湾を有す、聞説疇昔帝国議会の秘密会に於て政府は海運拡張東海艦隊を設置せらるゝ場合は、軍港として以て帝国の権威を発揮する所となすも、其間は要港となし他の窺知を許さゝる所となしたり。然るに帝国は華盛頓会議に於いて列国と締盟の結果陸海軍を縮小し、東海艦隊は設置せさるに至れり。故に此良港湾をして商港たらしむるは世界的の建設にして一日も等閑視するを許さゝるなり。 宮城県会は政府の意を体し漁港設置の急を認め二ヶ所を選定し女川湾は其の一なり。同港は世界三大漁場の一なる金華山沖に当面し、漁族の豊富なると波浪静穏大艦小艇の遊才に適する所なり。政府も亦県会の議を容れ女川湾を以て宮城県の漁港と決せられたりと聞く、只財政緊縮の結果未だ発表せられざるのみ。 女川湾は以上二箇の理由により、国家として直ちに商港湾となし漁港となすは産業及交通政策上重要たるを信す。況んや女川は鉄道網可決せられ布設の早晩を争ふのみにして、商港となすも他に国力を煩はすの要を視す。其の漁港の如きは前に掲く る所の如し。要は一日も早く鉄道を布設するにあるのみ。 右提出致候条御詮議相成度候也 大正十三年三月三日 宮城県会議長 矢 本 平 之 助 港湾協会長水野錬太郎殿 285

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