女川町誌
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左 記 一、請願書は必す二通作製すること 一、綴目には割印をせざること 大正十二年一月十五日 石巻町長 武 山 一 郎 松川女川町村長 殿 漁港及女川鉄道問題にて、来十八日夜行御出発翌十九日午前十時まで、東京神田淡路町関根屋旅館にて御出会相成度此段及御通知候也。 追而在京中経費御負担の儀御了知相成度候也。 大正十二年一月十六日 石巻町長 武 山 一 郎 女川村長 松川 豁 殿 漁港及鉄道問題に関し、左記御芳名と来る十八日夜行にて出発翌十九日午前十時、関根屋旅館に御出会相成候様御通知御取計相成度此段得貴意候也。 記 女川村長 松 川 豁 殿 須 田 金 太 郎 君 木 村 熊 吉 君 追而御差支の時は誰なり御選定相願度候也。 書簡(平塚喜一郎氏より) 漁港及女川鉄道問題にて各部三四名つゝ上京に候間、御村内よりは貴下及須田金太郎君木村熊吉君上京候様御取計願上候。 尚須田君木村君へは故夫を以て御勧奨願上度候。 十八日夜行出発 十九日午御十時迄に神田淡路町関根屋に御到着のこと、当方よりは阿部彦君(建議阿部彦兵衛氏)鈴木源助君上京、平塚喜一郎より 女川村長より照会電報 十八日ナンジシュツハツノミコミカヘン 石巻町長より返電 ゴゴ八ジタツ 備考 女川石巻間電話の開通は大正十五年十月三日。 以上の経過によつて提出せられた請願書は三通ある。 284

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