女川町誌
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障碍を来しつゝあるは否定すべからざる事実なるを以て、女川港の振興計画として先づ東西を横断する道路並に南北に縦走する道路修築の急務なるは今更喋々を要せざるなり。当局玆に見る処あり、曩に昭和五年一月県告第四二号を以て大原女川線及女川雄勝線を県道に認定せらたるは良に所以あるなり。 然りと雖も未だ之が修築改善実施の域に達せざるは誠に遺憾とする所なり。是れ素より県財政の関係上巳むを得ざる次第なるべきも女川港はすでに鉄道の建設を見、又港湾の修築改修その緒に就き、今や正に振興の実現に向い輝しき発足の時機に当面しあり、而して又当港の開発は単に地方の利益のみに止らず東北振興上延いては国家蓄源の開拓上至大なる関係を有し、其の使命の重大なる蓋し忖り知るべからざるものあるは、巳に天下の斉しく認める所にして、所謂以上道路の修築改良は文化の向上各種産業の開発、将又目下荐りに唱道せられている景勝観光計画上必らずや偉大なる成果を齎すべきは必至の事実にして、国運の進展に愈々貢献する所甚だ大なるものあらむ。希くは此の機会に於て御名鑑に依り、之が事業達成致度翹望に堪えず、何卒御賢察を賜り速かに実施せられんことを敢て請願して巳まざる次第なり。 昭和二十三年八月十日 女川町議会議長 木 村 庄左衛門女川町長 木 村 主 税 宮城県議会議長 高橋 清 殿 宮城県知事 千葉三郎 殿 五、橋梁架設・道路改修の陳情 終戦後の各町村はあらゆる方面に於て急速度に復興し、土木事業といわず、産業・文化の各種事業は戦前にも勝る状況を呈している。殊に漁港女川の振興には素晴しいものが見られる。また一面民主々義思想の影響をうけた住民には陳情や請願が目立つて多くなつた。次に掲げる請願書及び陳情書は土木事業に関するその一、二である。 橋梁架設に関する請願書 標記の理由 請 願 書 女川町女川浜東伊勢地区(戸数五十戸)人口四百五拾人、 267

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