女川町誌
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道路法制定の沿革 道路法の制定は、三十年来の懸案にして、明治二十一年十一月之か調査を了し、公共道路条例と名け、街路新設条例と共に、閣議に提出せるも決定に至らすして止む、更に明治二十三年十二月、右両案を合併して道路法案を起草し、第一回帝国議会に提出の目的を以て閣議に上したるも、議会に提出の運に至らさりき。明治二十六年六月に至り、道路法案に関し地方長官の意見を徴し、明治二十八年三月土木会及土木監督署長に諮詢して、是等より得たる意見を参酌し前案に多少の修正を加へて公共道路法案を立案し、閣議を経て明治二十九年十二月第十回帝国議会に提出し、衆議院の議に上れり。而して衆議院に於ては、特別委員会を設けて数回の審議を重ねたるに、委員会に於ては可否の意見相半し、僅に委員長の賛成に依りて委員会を通過し、議会の最終日に至り、之を議場に報告せしも、同法案中委任命令を以て規定すへき条文多きを非難せる少数意見に対し、賛意を表する者多くして、遂に否決の運命に陥れり。 爾来政府に於ては、之か調査を続行し、更に道路法案を立案して、明治三十二年閣議を経て、第十四回帝国議会に提出し、貴族院の議に上れり。而して貴族院に於ても、亦特別委員会を設けて再三審議を重ねたるも、委員会は国道の費用支弁に関し、当時の政府当局と所見を異にせるか為、之か審査を終了するに至らさりき。明治三十五年十一月に至り之を土木会に諮詢の上、更に些少の修正を加へて成案を得たるも、第十七回及第十八回帝国議会は、共に解散せられたるが為提出の運に至らす。明治四十三年六月更に之を改案して道路協議会に諮詢し、翌四十四年之に基きて多少の修正を加へ、地方長官に回付して其の意見を徴し成案を得たるも、未た議会に提出するに至らす。其の後大正四年以来明治四十四年の成案を基礎として再ひ調査を続行し、大正六年十一月更に成案を得て、第四十回帝国議会に提案の見込を以て、閣議に提出せしも、道路の占用に関し、逓信省と協議進行中、会期切迫の為閣議を経るに至らすして、提出を見合はすことに決定せられたれは、大正七年十一月更に之に多少の修正を加へ、閣議を経て第四十一回帝国議会に提出し、遂に其の成立を見るに至り、裁可を経て大正八年四月法律第五十八条を以て之を公布せらる。顧れは道路法は、明治二十一年第一回の法案たる公共道路条例を起草せられてより以来、実に三十余年の星霜を経て、初めて玆に其の制定を見るに至りたるなり。 260

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