女川町誌
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であるが、復旧の理由を以つて四子の崎が早く出来たのである。而してこの南大名計礁は建設工事困難なるのみならず、維持も亦甚だ困難であるから、早崎に灯台を建設して南大名計礁はこゝから投光する施設を講じた方がよいということになつたのであるが、航海者の希望により本町江島区の二股島に建設することが強く取りあげられ、海上保安本部と本町とは数回の調査をした結果、建設費並に保守の点から二股島も放棄して大原村寄磯の早崎に建設することとなり、昭和二十七年秋工を起し、翌二十八年三月二十六日大原村と連合して落成式を挙げたのである。しかし予算の関係上大名計礁投光施設は二十八年度に越えて施工し、大名計礁に対する受光特殊施設のみは追て施工することとなつたが、そのまゝ今日に及んでいる。燭光三、五〇〇燭光光達距離一七浬光白色四秒一閃光自動管制装置投光機は灯台の光源より約一米下に取付けたが、三百燭光を三十五万燭光に増幅して大名計を照している。こゝに於て女川港周辺の灯台は金華山・早崎・越木礁・四子の崎・大須崎等に設置せられ、その等距離に於ける灯台数の割合は類例ないということであるから、海上より見た女川港への通路は高度に設備されたといえよう。第十二節油槽と特設桟橋大正十三年女川振興会が生れ、昭和四年まで漁港としての新設備を整え、ついで同七、八年度の国庫補助修築工事が鷲神方面一帯に施され、同八年亀井商店が二七一屯の油槽壱基を、翌年日本漁網株式会社が三千屯壱基、三百屯壱基、同十一年亀井が三千三百屯壱基、同十二年日本漁網が三千屯及び三百屯各壱基を増設したので、女川港の油槽は壱万余屯の貯油可能となり、一面税関の派出所も設けられ米国及び南洋方面より大型船舶を以て直接外油が輸入され、244

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