女川町誌
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第十一節女川湾の灯台女川港湾の周辺は、所謂リアス式海岸の典型的なもので、湾あり岬あり、島々散在し、暗礁その数を知らずと云う状態であるから、漁場としては比類ない優秀海岸であるが、濃霧吹雪等の襲来も多く、幾多の海難事故を見ている点からすると、航海関係者には少なからず恐怖を感ぜしめている海域である。女川港湾の発達と港湾工事の進行に伴つて、之が対策を講ずることは地元町村長の重大なる使命であることを認め、多年話題にはしていたが、防波堤尖端の越木礁灯台建設以来具体的運動はなかつたのである。一、越木礁灯台(甑礁灯台)越木礁は暗礁としての危険を避くる必要上からも、入港の目標の上からも、航路標識建設の必要を早くより唱導され、大正の末年磯村氏は私費を以て、この礁の上に水面に現われる程度のコンクリートを築き之に柱を立て旗を掲げてあつたが、或夜漁船が突当つて破壊してしまつた。昭和四年度女川町予算中に寄附金三千円を計上して、灯台建設方を本県に迫り、昭和六年に至り県費二千円、女川町寄附三千円計五千円を以つて起工し、翌七年完成し、玆に女川港の形態に大切なる点画てんかくを添えることになつた。高さ十一米、円形コンクリート造アセチレンガス赤色灯である。昭和十年作の女川音頭に、「赤い灯台私の心、雨の降る夜もあらしの晩も、主を待つやら守るやら」とあるのを見ても、当時町民の喜びと航海関係者の満足とは如何ばかりであつたかが察せられる。その後昭和二十八年自動点滅式電灯に改装した。二、四子の埼灯台242

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