女川町誌
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この調査設計書は、待望の最初の国費補助築港時代に突入する土台をなしたものである。即ち女川港今後の築港計画というものの軌道を始めて敷設したのであることを銘記しなければならない。二、女川港湾修築の国費補助昭和二年七月臨時県会に於て、知事に対して気仙沼と女川との二港を、県費で完全なる漁港設備を施す様にとの意見書を提出し、満場一致の決議を得た。ここに於て気仙沼との対立が漸く暖和されたかの感があつた。そして気仙沼は昭和四年に大火があり、同五年に起工した。女川港は昭和七年五月の港湾協会総会に於て、女川港を国庫補助により修築せられたき旨政府に建議するの件満場一致を以て可決せられ、同年七月六日女川町会議長より知事に対し県費を以て速に漁港修築工事施工せられたき旨請願書提出、同年九月臨時県会に於て知事に対し女川港を県費を以て速に漁港修築工事施工すべき意見書提出満場一致を以て可決せられ、玆に始めて最初の国費補助築港時代を迎えたのである。その喜びや如何程であつたろう。こゝに参考のため昭和六、七年頃の県政主脳部を見ると次の様であつた。宮城県知事三辺長治宮城県会議長高城耕造及び伊丹栄三郎副議長大槻茂⑴工事の状況昭和四年は世界経済大恐慌の起きた年で我が国では金解禁を実施したが、不景気が益々深刻となり、政府は昭和七年時局匡救事業なるものを起したのである。この波に都合よく乘つたのが既に述べた昭和七年九月の臨時県会に於ける女川漁港修築の決議であつた。次にこの工事に直接関係したる人々並に工事の状況を要約して見よう。(イ)人事内務部長品川主計及び二見直三202

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